今回はイタリアの街角にある、小さな美しさを集めてみました。
小さいうちからこういう心温まる環境で育つということが、自然とデザインセンスや美的感覚
を養って行くものだと痛感させられます。
アッシジなどは、数百年前の町並みがそのまま残っています。
不便さと共存する暮らしですが、得られないものが多
い代わりに、失って行くものも少ないのも確か。
よく「欧米ではXXが当たり前」などと一緒にされますが、その言葉が出て来たときは、
その後に続く文章が ウソだと思って下さい。
ヨーロッパとアメリカは一緒に出来ません。

いや、一緒になりたくない、なのかな。


聖地アッシジにて。歴史的壁、壁的歴史。
中央広場庁舎の紋章。500年は経っている。
窓枠にアルミサッシを使わないという歴史への敬意。
ガラスもわざと厚めで不揃いのもの。
この国には額装道というのがあると常々思っている。
大聖堂の地下入口。石文化の結晶。
食器屋のウインドウ。
見てるだけで心が弾んで来る。
色の配置が抜群。
手作り石けん屋のウインドウ、後から光を当てている。
思わずいくつも買ってしまったが、もったいなくて使ってない。
小ベニスと呼ばれるキョッジャ連作。
水は偉大なアーティストである。
誰、そこにその色の船を置いたのは???決まり過ぎだよ。
脱帽!
顔的扉、扉的顔。この厚い板を壁に掛けられたらなー、と思う。
風雪による作品。
誰、この船を捨てないでインスタレーションしたのは?
顔に個性がある。数百年前の無名の石工の作品。
屋根に咲く華・・・煙突にもオシャレなベネチア人。
そんなところに、そんなにカネを使って・・・と他人事ながら心配になる。
自転車をハメ込むのが惜しい美しさ。
だから誰も使ってない? さすがデザインの国、脱帽。
歴史のある壁の前にこのモダンさを持って来る勇気。
もちろん石畳にもこだわっている。
今は各地でアスファルトを剥がして石畳にしている。
「アスファルト は街を窒息死させる」のだそうだ。
便利さが勝てないものがたくさんあるヨーロッパ。
街角の素晴らしい一角。
いや、恐れ入りました。
祭日用お飾り照明の残り。
繊細な光の装飾だ。
飾らなくては!と入れ込みすぎてないのが微笑ましい。
インテリアショップのウインドウ。
この国では、安らぐ部屋の主役は、光や明かりではなく、陰と影である事が判る。