日本旅行記その1



これは、イタリア人ながら日本語が大変良くできる私が、8年ぶりに来日した記録です。
イタリア人から見るとビックリする様なことばかり。
いろいろ解説してみます。

5/1に訪日、5/8から台湾に出かけ、3カ国技術会議を仕切り、
5/12に日本に戻ってからは5/25まで滞在しました。
映像が多いのと、ポタ親がドイツに居るという状況も考慮して2回に分けて送ります。
先ずは台湾滞在までです。


1=某日本人宅、居間天井の蛍光灯。
コタツという足元暖房電器に足を入れ、畳の上に寝転がると、
上にはこれが待っていた。
できるだけ明るく、白く・・・という目標に向け、小綺麗なアクリルカバーなんか取っ払ってしまった
、質実剛健のシンボル。
自分がアジの開きで、電熱乾燥させられている感じで驚いたが、
意外や意外、こういう照明方式を採用していたお宅が他にもあった!
イタリア家庭照明には、まず絶対に蛍光灯が無いので、かなりのカルチャーショックを受ける。
2=飛び乗って来る男、平然と話す銀行営業部長。
二日酔いの頭をかかえたまま、G県の秘境にある友人Mの墓参りに行く。
大学時代の親友達と墓前に花を持参し、一人で住む90歳の母上を訪ねるのが目的。
自分がまだ20歳になったばかりの畜生野郎だった夏、
悪友や当時の彼女も一緒にお世話になり、
それは思い出深いひとときを過ごした谷底の小さな村まで2時間、
途中のスタンドで突然、男が飛び乗って来た。
一瞬、「猿か?」と身構えたが、クルマのフロントガラス清掃のためであった。
イタリアでは考えられませんなー。
そんな猿の惑星状態にもかかわらず、友人Mの未亡人と平然と長話するK氏。
さすが、切れ者と言われただけの事はある。
3=谷に泳ぐ無数の鯉のぼり。
クルマは谷を極めて行く。20年以上前に、飛行機が墜ちて
500の人名が失われた、あの山の麓にM氏の墓はある。30年
前と比べて山道が格段に広くなっているのは、その事故のおかげだそう
だ。谷を渡る五月の風に無数の鯉のぼりが舞っていた。元気な子供のシ
ンボルと言うよりは、この谷で人生を終えた人、それぞれに一匹ずつの
鯉のぼりを・・・という感じ。
それはともかく、良く考えてみると、自宅に子供や孫がいなくなったか
らこそ、倉に眠っていた鯉のぼりを出して来たのだ。つまり、少子化、
過疎化、大家族制度崩壊の象徴である。
極めて壮観な風景だが、見ていてしんみりとして来る、透明な哀しさに
満ちていた。
4=M氏自宅郵便受け。
50歳過ぎたばかりで肺ガンに倒れた先輩M氏だが、
父親も既に闘病生活であった。
父は息子の死を知らされる事無く、後を追うように逝ってしまった。
90歳の母は、兄弟と併せ、一年で三回身内の葬式を出した・・・と笑って!いた。
「あの頃は大変だったねー」と言いながら我々かつての畜生野郎どもに山菜天ぷらを出してくれた。
「あの日、空を見ていたら、飛行機が山の上を2回廻ったんだよ」と話す母。
裏山にある墓参りを済ませ、墓前の石を拾った僕の目を撃ったのは、郵便受けであった。
この4名の家族、両脇はもう居ない。
その、手作り郵便受けが見て来た
家族の歴史、長い長い冬や灼熱の夏、
蓋の開け閉めに触れた家族の手の跡には「ヒトが生きていた」証しがある。
美しい風景を見られた一日であった。
5=台湾に飛ぶ。
高雄のホテルにて。ダブルベッドが二つというのはどういうこと?
理解に苦しむ。
6=工場内にて。
「マシン試験運転中は、人員の出入りを禁止する。入る場合にはマシン
測定師の許可を得てから入る事」っていうことだろ?
ナーンだ簡単じゃない、台湾語は。この調子で4カ国語通訳も夢で無い
かな?と楽しくなって来る。
7=4カ国語が飛び交う技術会議の弁当昼食。とにかくいろいろ詰めておけー!。
サカナも肉もキノコも野菜も、目指すは全方向対応型。
スイカなんか食べきれないくらい出て来る。
9=夕食会場のレストランから
地上80階、300mにある皇帝酒楼からの夜景。
台湾料理が重くなくて美味しいのにはビックリ。
10−中でも一番気に入ったのがこれ。ウナギ稚魚の炒め物。
小指よりも細く、長いそれは絶妙な味で、いくらでも食べられる。
スペインでもウナギ稚魚を食べたが、食材としては禁断の味に近い。
11=「台湾語なんて簡単!」となめていたら、
翌日のレストランで出て来たのがこれ。
「金玉良縁」ですよ。ウーン、金玉にて良縁を射止めるのか、奥が深い。参りました。
でも多分絶対にそういう意味ではないのだろう、台湾語は難しい!と降参。
12=漢方治療師先生が入れてくれるウーロン茶。
80歳を超えてなお元気。
その先生が入れてくれたお茶が実に香り高く、今まで日本で飲んでいたウーロン茶とは格段の違い。
帰りの空港でお茶を何本も買ってしまった。
13=路上出店にて台湾ぜんざい。
バラックに近い店にて、少女に近い女性が接客している。
Tシャツ、素足にスニーカという格好で、こういう雑然としたキッチンでササッと作る。
身体に良いと言って、手製特製豆乳ビン詰めを一本呉れた。
14=これがそれ。
冷たく、甘く、ウマいのだが、いかにせんドンブリで出てくるので食べきれない量。
15、16=バイキング式レストランにての2皿。
台湾3日目の夜は高級バイキングにて豚になる。
これはその1皿目と2皿目の映像。和食から入って、
中華に進化して行くのはダーウィン理論に基づいている?
17=台湾最後の夜、海沿いの海鮮料理店にて色々試す。
店に入ると材料がズラーッと並んでいる。どれも新鮮。
あれだ、これだと指差して二階に上がると料理したものを持って来てくれる。
タニシとか魚の内蔵コーナー。
18=「ドレデモ、イイネ、タノンテ、クタサーイ」と言われるが、
サスがにカエルがそのままにはちょっと引ける。
19=コーナの上には水槽があり、そこで泳いでいる魚も即料理してくれるそうだ。
でもこういう色の魚って、何だか食べる気にはなれないイタリア人の僕です。
20=その水槽コーナ−に金魚が!
どう見ても金魚なので「中興人て、あれも食べるの?」と聞くと、
「あー、あれは飾ってあるだけですねー」とのこと。
紛らわしいこと、するなー!
21=2階での酒宴。いろいろ出て来ました。大食にて終了。
皿が使い捨てなのが可愛い。
22=翌日、台湾出発前の昼食。
いろいろな小皿が冷蔵庫に入って居て、それを出して食べながら麺類の到着を待つ方式。
ここでも数皿食べました。残念なのはビールが無かったこと。
23=理髪店の看板。
電棒とは多分パーマのことであろう。
しかし「山本髪」と言うのが判らないアナタ、台湾人じゃ無いねー。
降参して聞くと「山本五十六型ミリタリー短髪カット」だそうだ。
恐れ入りました。